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>>> some words? = thinking (or sinking)

ピーター・レーバーグの翻訳 ───PitaとEditions Mego (少しだけジギー・スターダスト)


ピーター・レーバーグの訃報が飛び込んできた瞬間、この文章の当初の書き出しだった「もし地獄があるとすれば私たちは皆そこへ向かう…とはカーティス・メイフィールドが歌ったことだったが」と言う文章をDeleteして、改めてスタートするに至った。前置きしておくと、私がここに書くことはごく個人的なものでしかなく、所謂批評文とも全く違う。ピーター・レーバーグの歩みに関してはもっと詳細な文章や資料性の高いものがたくさんある。特に私は、ひとつの枠組みの中で音楽を偏執的に聴く能力に著しく欠けている…即ち専門性が皆無な人間なので、そういったものを望む人は以下全くもって読む必要がない。蛇足として加えると、私は1988年生まれなので、エレクトロニカ(※注)が勃興した時系列においてはやや後追い世代に当たる。それ故、リアルタイムに新しい電子音楽の到来を感じていたというよりは、電子音楽に興味を持った時それは「既にあった」のだった。ある程度醸成され確立されていた場所へ飛び込んだので、それは未知なるものが近付いている感覚ではなかった。リアルタイムの人が感じていた衝撃とは明らかに異質のものであると思う。それが故に、当時ピーター・レーバーグは…と書き進めることが出来ない点について私は悔しく思うが、それでも自分なりに彼についての文章をまとめてみたいと考えたのは、彼がこの世界から立ち去ったことが、21/07/22の時間軸を境にボーダーラインが敷かれたことを私に改めて認識させ、その重みをハッキリと認識させたからである。


(※注) 私がこの文章で一番悩んだことは、ピーター・レーバーグの音楽をなんと呼ぶかについてであった。彼を取り巻く当時の電子音楽、その時代背景や、実際のレコード・CD店での取り扱われ方も含めて考えると、最も適しているのは「エレクトロニカ」という用語には違いないと思うのだが、しかしごく一般的なエレクトロニカの要素や浮かべるイメージ───清涼感のある電子音、クリアで美しい世界観───と、Pitaの音楽はあまり上手に符号してくれない。サウンドだけで考察するならば、それは寧ろインダストリアルやノイズと密接にリンクしているようにも思う。それ故に議論の余地がありそうだが、ここではテクノの変種として生まれたIDMを始点とした新しい潮流 = 踊らない / 踊らなくても良い電子音楽の総称としてエレクトロニカという用語を用い、ピーター・レーバーグもその大枠の電子音楽・表現全般に属していた、という本文内での前提を明示しておこうと思う。


21/07/22とは即ち東京オリンピックが「まだなかった」最後の日だ。ピーター・レーバーグはその日に心臓発作で亡くなっていた。訃報は日本時間の翌23日の16時前後に発されたようで、私がそれを目にしたのはもう少し後の20時過ぎのことだった。彼の死が飛び込んできた時、私のTwitterのタイムラインにはEditions Megoのオーナー兼才気迸る演奏家だった人物の話題と、同時刻に行われていた東京オリンピックの開会式でクールジャパンの象徴的な楽曲が使用されたことに沸き立つ人たちのつぶやき、そのふたつがちょうど半々ずつくらいの割合で流れていた。ピーター・レーバーグの情報をタイムライン上だけで拾うには、目にする諸々は祝祭感が溢れ過ぎて非常に不十分かつ不安定、かつ不気味だった。私自身はオリンピックの開催にコロナの諸々があった以前から反対だったが(あまりにも不明瞭で不可解なカネの動きが散見され過ぎるからであり、その時点であれは平和の祭典ではなく経済原理の戯言のようにしか思えなかった)、それでも純粋にスポーツを楽しみにしていたり、オリンピックの開催を求めている人の立場は分かっているつもりでいた。しかしその時ばかりは、その祝祭感に対して本当に吐き気を催してしまった。それは非常にグロテスクな色彩のキルトであった。鎮静した死と騒がしい生が混じり合って、それらが私を咎め追い詰めていく。


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Pitaの演奏を至近距離で、恐らく3mくらいの距離感において目撃出来たことを思い起こすと、喜ばしいと同時に非常に寂しくもなる。日付として16/9/14のこと。彼の演奏そのものは、レコードに封じ込められた通りのクールで粗暴、しかし綿密に計算され尽くした音楽であり、極めて理知的なイメージに全く違わないものだったが、実はその音が極めて生々しく肉体的に発せられていることもよく分かった…と言うよりも、目の前でピーター・レーバーグがほとんど動かずに、しかし手元にあるモジュラーシンセのツマミを捻るたびに音が可変していく様がよく見えたので、「音が生きている」という感覚が音楽に加えられたのだと思う。ピーター・レーバーグは演奏の始めも終わりも極めてクールで揺らぎのない雰囲気を全身から発していた。演奏が終わって機材の前から離れ、そのまま会場に訪れていた知己の人たちと談笑しているピーター・レーバーグを見れば、尚一層その印象は増した。それに加えて、彼が自分自身を棚に上げない誠実な人であることも十分に伝わってきた。ジェントルマンである、という極めて欧風な嗜みを楽しんでいるかのような人でもあった。話しかけこそしなかったけど(そんな勇気は私にはなかった)、あの時彼はすぐそばにいた。私(と、現在mihauで一緒に演奏してくれている100takeくんが一緒だったので、正確には私たちふたり)は暗闇の中で点滅し光っていた彼のモジュラーシンセをばちばちとiPhoneのカメラに収めてはキャッキャしていた。ばちばち撮った記憶があるが、実際のところ手元に残っていたのはただ一枚。そこに写っていたのはカラフルなモジュラーケーブルばかりで、その奥にチラチラとユーロラックに載ったモジュラーシンセが、そしてそこで微妙く発行しているLEDが見え隠れしている。全体的に暗めの写真だったが、それでも当日の気持ちを甦らせることそのものには絶大な効力を発した。



私は全くもってハイクラスな人間ではないので、六本木に訪れることそのものに違和感がある。今でも何かしらの用事が生じて六本木に行く度、多彩な混乱と共に過ごさなくてはならない。六本木とは疑問に溢れている街である。街の何処に対して、自分の何を接続して良いかが分からないからだ。情緒を繋げることも、思考を繋げることも、ましてやもっと実際的な自身の生活を繋げることも困難だった。そんな中で、私とあの街とを唯一繋げる媒体となったのは六本木SuperDeluxeだけだった。あの場を通じて、私は六本木と接続されることがようやく出来た。しかもそれは互いを捻じ曲げたりするのではなく、それぞれがそのままの姿で繋がりあうことが出来た稀有な場所だった。SuperDeluxeが新宿や渋谷、微妙なところで言うと青山にあったら、私の感じ方はまた異なったはずだと思う。SuperDeluxeは六本木に潜んでいた、しかし実際に存在する猥雑や土の香りをクールに扱っていた。あそこで聴けた多様な音楽は一貫してそれを表現していたし、あの場所そのものもそれを表現していたように思える。六本木の本質は地上の虚構───陽の当たるビルの群れのネオン、反射する窓ガラス、装飾された人々の中にはなかった。それは雑居ビルの階段を降った地下一階のスペースにこそ存在した。そこは都会の中に突然登場する荒廃した砂漠のようで、文明に捨てられ取り残された地点のひとつだったが、そこにこそ都市生活の末端にあるリアルが存在した。しかし、その街の中に突然空いた穴は埋められた。私には、まやかしの街がその実態を暴かれない為に、穴を埋めたように思えた。


私は数年前に六本木SuperDeluxeを失い、同時に六本木と自分との繋がりを失った。そして今、ピーター・レーバーグを失った。私には、それらが綺麗にこの世には存在しないことが全く信じられない。それは私の脳裏に、そして肌の感覚に明確に残っていて、その感触があるものが既に存在しない、とはなかなか理解し難い。その上困っていることは、ピーター・レーバーグの音楽が全く悲しくないことだった。私の感傷的な気持ちとは裏腹に、取り出してきた『Get On』のレコードに刻まれているPitaのノイズは全く、全くもって、悲しくない。


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私が初めてピーター・レーバーグを意識したのは、やはりSuperDeluxeと非常に関係していたジム・オルークを介してだった。ジム・オルークからピーター・レーバーグ…という道順であれば、まるでハンバーグのよう…とその言葉の響きで心をワクワクさせてくれたフェノバーグを思い浮かべそうだが、私のコースはそうではなく、ジム・オルークの『I’m Happy, And I’m singing, And A 1,2,3,4』によって、ピーター・レーバーグが主催するEditions Megoを初めて認識したのだった。フェノバーグに負けず劣らず、これまたユニークな言葉遊びであり、しかしその実単純に楽曲名を並べただけという素気ない(と同時に、ちょっとしたシニカルな趣もある)タイトルの作品だったが、しかしそれに対して音楽は実に豊かで、ジム・オルークが発する電子音は何故ここまで優しく温もりが出てくるのか…と考えずにはいられないフレンドリーな電子音響作品だった。ジム・オルークが初めてApple社製のPower Bookだけで制作したという点でも有名な作品である。あの頃よく耳にしていたが、自由度や利便性が増したコンピューター及び音楽制作ソフトウェアに依拠した音楽は「ラップトップミュージック」と呼ばれることが多々あった(し、現在でも英語圏では比較的多用されるらしい)が、P-VINEから発売された本作のデラックス・エディション付属の解説には、Editions Megoのプレスリリースとして以下の記載がある。


『アイム・ハッピー・アンド・アイム・シンギング・アンド・ア・1・2・3・4』は、多くの人たちにジムのラップトップ・レコード、もしくはパワーブック・アルバムと呼ばれた。我々は、この記念碑的アルバムの制作に用いられた楽器について言及するにあたり、単にコンピューターという用語を使いたいと思う。


この文言の采配にピーター・レーバーグが多少は関与していたことは想像に難くない。この作品のエヴァーグリーンで永遠に変わることのなさそうな印象の鮮明さに反して、この作品を形容する為に用いられる様々な言葉(ラップトップ、Power Book)は比較的時代を感じるものが多い。そんな中で、Editions Megoによる上記の声明は作品そのものの本質をしっかりと捉え、また予期していたように今では思える。また、ジム・オルークがそういった言葉が指し示すことの多い特定の時代の箇所や、沸き起こるブームに対して一定の距離を保つことに意識的な作家であることも、このプレスリリースの文言は示唆している。ジム・オルークのこの傾向は近年より強くなってきたと言っても差し支えないだろう。


少し脱線するが、これを記している2021年8月現在で彼の最新のリリースに当たるのはDemdike Stareのレーベル=DDSからリリースされた『Too Compliment』と推測されるが(何せリリース量がすごい…ここ数年で明らかに加速している)、この作品には前述した『I’m Happy~』と手触りが近い音響に、彼自身がSteamroomシリーズにおいて長年追求してきたコラージュの感覚、または”ループしない音楽”=比較的クラシックに近いような常に音楽が進み展開していく構造が組み合わされたような、そんな印象を持った。かつ、踊れなくもないリズムを持っている音楽でもある。しかし本作で用いられているのは特注されたHordijk製のモジュラーシンセサイザーとのことで、手法自体は『I’m Happy~』とは大きく異なる。これらは顕著な例かも知れないが、コンピューターのみ使用して音楽を制作することにジム・オルークが偏執していたのは、私個人の認識では『I’m Happy~』の時期のみだと思う。彼は制作自体にコンピューターを用いることを厭わないが、それのみに拘る制作とはそれ以降決定的に距離を置いた。


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ピーター・レーバーグには特筆すべきユニークな二面性がある。それは言わずもがな、Pita=アーティストとしての彼とEditions Mego=レーベルオーナーとしての彼だが、きちんと着目しておきたいのはその両面における骨子と関係性である。前者の側面における彼は電子音響のノイズを母体としながら、時にリズミック、時にアブストラクト、あるいはその双方を器用に行き交うアプローチを見せる。Pitaの作品はその多くにおいてリズムと音響が入り混じり判別がつかない…というよりも、全ての音が有耶無耶にされ続ける。音の粒子が非常に細かいからこそ何もかもがリズムにも聴こえる、非常に抽象的な音響が常にあるといった趣だ。エレクトロニカという言葉が同時(かつ直接的)に指し示すことも多いグリッチ / クリック / カットアップという手法が生み出すノイズも確かに存在するが、それは単なる記号としては機能しない。時にノイズはノスタルジーを醸す装飾として十二分過ぎるほどの効力を発するが、しかし彼の音楽の中ではノイズは時系列からはっきりと切り離され、記号としての能力を消滅させられる。極めて音楽的で、不思議と有機的な(しかし人間的とはまた違う)香りを感じる響きとしてノイズが存在しているが、しかしそこには徹底した冷たさもある。端的に、かなり不思議な音楽だと思う。人を受け入れること自体を拒否はしない冷たさ、という感じだろうか。寡作だったがどんどん深化したPitaは、その冷たさの精度と鋭利さを極めていった。深く潜れば潜るほど冷たくなっていくことを彼自身もよく分かっていたと思う。地中深くへ向かって進んでいくことにこそ、ピーター・レーバーグの表現活動の核が存在していた。


それに対して後者の側面におけるピーター・レーバーグとは、まるきり別人のようだ。Editions Megoとそれを取り巻くサブレーベルの数々の振る舞いは電子音楽を基軸にし、それらを構成する音楽的な要素───メロディ、リズム、音響を醸すエフェクト───の組み合わせ方のバリエーションを多様に提示し続けた。そして実際、それらの音楽はたくさんの形容をされ、たくさんの呼称によって扱われてきた。エレクトロニカはもちろん、電子音響、ミニマル、ノイズ、クラウトロック、ニューエイジ・リバイバル、コラージュ、ヴェイパーウェーブ…のように様々に設定されたそれらが、Editions Megoとそのサブレーベルからリリースされていたことは控え目に言っても驚異的である。アーティストを挙げることは分かりやすさを示すか、或いはただ混乱させるだけだろう。Fennesz、Hecker、Kevin Drumn、Emeralds、Oneohtrix Point Never、Oren Ambarchi、Powell、Russell Haswell、Caterina Barbieri、Thomas Brinkmann、Stephen O’Malley…といった具合である。そのうちどれかふたつ以上を知っていれば、その接続のされ方の不可思議さに思い当たるだろう。ひとつの意味合いで言えば、Editions Megoは音楽を取り扱う百科事典の偉大な一冊を形成したのだが、それは誰にでも理解できるものではなく、トマス・ピンチョンの小説のような趣である。


ピーター・レーバーグの作品そのものに関して言えば、彼がEditions Megoとして規定した色彩の豊かさよりも、むしろ同軸に座標していたTouchやMille Plateaux(このドイツのレーベルのことは調べていて突然思い出した、かなり懐かしい感じがする)、分裂してしまった今は亡きRaster-Noton、少し違うアプローチとしてMUTEや後続のPAN辺りからのリリースの方がしっくりくるかも知れない。それらはPitaの音楽そのものが表現し得る一定の暴力性やクールネスを体現する器としては抜群であり、言い換えれば”アンダーグラウンド”とされるようなサウンドのレーベルだが、しかし彼は───自分のレーベルから自分のリリースをする、という自明とは恐らくあまり関係ないところで───Editions Megoからのリリースに拘泥し続けた。それはEditions Megoが音楽的に拡大していった、言い換えればどんどんとポップへと向かった流れをより巧みに、より豊かにする為に自分自身の音楽も身体の一部として用いたことをよく表しているように思う。

最初期のEditions Megoには「基本的にラップトップのみで制作された音楽のみ取り扱う」というルールが設定されていたらしい(前述した『I’m Happy~』デラックス・エディション内の佐々木敦氏の解説にそう記載がある。恐らくこれは前身レーベルであるMego期のリリースを指し示しているのではと思う。Megoに関しては後述する)。それは当初のレーベルカラーであると同時に、ピーター・レーバーグ本人の制作時のルールでもあった。そしてそれがそのまま、彼の突出した個性を引き出し、彼のPower Bookは多くの人がまだ聴いたことのなかった電子ノイズを吐き出す、得体の知れない楽器へと変化した。彼の表現は当時の電子音楽のそれと、趣も質感も何もかもが違った。『Get Out』に顕著な、意図的に刻まれたノイズは未だに斬新である。そのブリーディング・エッジぶりに慄いて、テクノロジーの進展に依存するが故に寛容でもあるはずの電子音楽そのものが、彼の表現を忌避していた時期もあったらしい。よく指摘されるように彼の音楽はパンクロックのようなものだったが、それが指し示すものが原点回帰という意味合いだとしたら、それとも全く違った。技術は格段に進み、それに乗っ取った音楽は原点に戻らず、新しい地平へと向かったからである。


しかし彼の音楽を支える技術は、Editions Megoと緩やかに同期しながら変遷していく。Editions Megoが広義の電子音楽を取り上げ続け(しかもいかにも80sノリなエレクトロポップのようなものとは徹底して距離を置きながら)、未開の地点へと裾野を広げていくにつれ、ピーター・レーバーグの作品においても技術が転換する。時代の先を行き過ぎていたコンピューターのみの音楽から、モジュラーシンセを多用したものへの変化である。私が目撃したPitaとは既に変化した後の彼であった訳だが、こと機材面に限って言えば、彼は時流を逆に遡っていたことになる。Pitaの音楽自体はどんどん深みへ向かっていったのに反比例して、制作に使用された機材そのものはよりオーセンティック、かつ「クラシック」なものへと変遷した。

機材の変化そのものは、ジム・オルークのそれと近似していると言えなくもない。しかしあくまで表出している点に限って言うのであれば、ジム・オルークのそれとピーター・レーバーグのそれは本質的には全く違う動きをしている───ジム・オルークは「元にいたところへ戻った」のに対して、ピーター・レーバーグは「新しい地点へ向かった」のだ。


ピーター・レーバーグの音楽とは、常にポストモダンの一歩手前に座標しているように思える。進みすぎていて未来的である、というのとも少し違う。彼の音楽はもう少しフレンドリーで、距離が近い。それでいて正体が掴めず、煙に巻かれるような感覚もある。さらに困ったのは、ピーター・レーバーグの機材変遷に則って時代を可逆する動きそのものに音楽は全くリンクせず、それ故に私たちも逆流したり、レイドバックすることが許されない点だ。ピーター・レーバーグの音楽は、あるのだかないのだかも分からない時代の転換の狭間に永遠に位置するのである。それは過去からも未来からも、果ては現在からも放棄された位置にある。Editions Megoの多くの作品が持つ印象以上に、Pitaの音楽は過去にも未来にも回収されないだろう。

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Editions Megoは常に撹乱的な動きを呈していた。Editions Megoのディスコグラフィに通底するものとは、極論で言えば電子的(でそこに付随する実験性を帯びた)音楽ということでしかない。ピーター・レーバーグは自分自身の興味関心が動き、何かが通ずると感じる音楽を器用に、そして丁寧に取り上げた。それが本来自身とは対極に存在しそうなものであっても、自在に取り扱ってみせた。Fenneszの抒情が典型的である。Emeraldsの『Does It Look Like I’m Here?』ではクラシカルなクラウトロックを現代的に解釈し、さらにはニューエイジ・リヴァイバルへと繋げた。Editions MegoがINA-GRMに残された半世紀ほど前の歴史的な実験音楽の再発を近年進めていたことは記憶に新しいが、彼らの電子音響への興味関心は時に過去の音楽の発掘にも向かい、それらが現在でも刺激的な音楽になり得ることを高らかに証明してみせた。それどころか、GRMが現在のアーティストに制作を依頼する…という新しいコンセプトからなるPortraits GRMをも立ち上げ、極めてクリエイティブな動きを見せもした訳だが、こんなことが出来るレーベルが他に存在し得ただろうか。敢えて言うならばWarpがそれに最も近いのだろうが、彼らは現在地点において面白い音楽を取り上げる(=初期のIDM系リリースなど電子音楽に拘泥しているようで、それも恐らく「それが最も面白かったから」だったように思う。実際にWarpはSeefeelのようなバンドのリリースもしたし、その傾向は始終変わらない。Editions Megoとは違う類の一貫性である)のに対して、Editions Megoは過去への目配せを忘れなかったし、それをどうやって現在において面白く再利用できるかについて真剣だった。ひとつ蛇足だけれど、Editions MegoとWarpを繋いだのがOneothtrix Point Neverだったということはかなり示唆的だと思う。もともと節操なく揺らぐ音像の中に自己を閉じ込めるタイプであり、また過去のモチーフを音楽に取り込むこともあった彼だからこそ、そのふたつのレーベルを横断することが可能だったのだろう。実際この二つのレーベルに残された音楽を聴き比べると、全く違う音楽であるにも関わらず、同じ作家の作品だということは全く否定できない、という少し特殊なアンビバレンスに私たちは遭遇する。


書くにあたって調べ物をしている時にそれに触れている文章があり、途端に思い出したのだが、Editions Megoには前身として単なるMegoだった時代があった(忘れているものですね…でも私だけかも知れない。これはかなり重要なことだった)。Megoの設立そのものにピーター・レーバーグは関与していないが、Megoの第一弾リリースはPitaとGeneral Magicの連名作だったのだから、当初から彼はそこにある程度は関係していたのだろう。程なくしてピーター・レーバーグは運営にも携わるようになり、やがてMegoが2005年にクローズすることが決定されると、そのディスコグラフィを引き継ぎ、加えて今後も継続的にリリース出来る仕組みとして2006年にEditions Megoを設立するのだった。


MegoからEditions Megoの変遷を経ながら、両レーベルに共通している要素のひとつがジャケットのデザインのセンスだ。Mego時代にもEditions Mego時代にも、アートワークに関してポップアート的、或いはローファイで「素人臭さ」を感じるものがいつくかあるのだ。その乱暴さにはやはりパンクロック的なノリも感じるが、それが今となってはヴェイパーウェーブっぽさでもあるのはとても興味深い(Tujiko Norikoのこれなんかまさしく!だ)。時に可愛らしさも表出するジャケット群だが、舵を思い切り傾け過ぎているので逆にシニカルに、あるいは一定の批評性を持っているようにも感じられる。実際、電子音楽のジャケットとは大凡抽象的で取っ付きづらいノリを感じることが多い中で、Editions Megoの時に不可解で不気味にすら感じる底知れないポップ加減は非常に面白い。実際私にしても、電子音楽とは「アート」寄りのアプローチに位置し続けるものだったし、Editions Megoも当然そこにいた。そういう在り方そのものを愛していたとも思う。しかしピーター・レーバーグその人にとっては、Editions Megoとはポップであり続けたのだ。


これまた蛇足として書き加えておくが、ジャケットに関して面白いなあと感じたのは、Fenneszの誉高き名盤『Endless Summer』に関してである。Editions Megoの象徴として挙げる方も多い作品だと思うが、それぞれが浮かべるジャケットのイメージは二分しているはずだ。恐らく多くの方がご存知の通り、作品がデラックス・エディションとして再発される際にジャケットが代わるのである。ジャケット下部・やや左の位置に大きく斜傾したポップな字体で「終わりなき夏」と書いてあったコラージュアートから海に沈みゆく夕日の写真

へ、である(私にとっての『Endless Summer』とは長年後者だった)。ジャケットが変更された再発とはまさしくMegoがEditions Megoへと変化するタイミング、即ち2006年に位置している。ピーター・レーバーグはあのジャケットに不満があったのだろうか…或いはクリスチャン・フェネスその人だった可能性もあるかもしれない。どちらもあり得そうである。そもそもそんなに深く考えていなかったかもしれないが、Editions Megoのフットワークの軽さからすればそれすら十分起こり得そうなところにも、実はこのレーベルにおける非常に重要な価値観が存在しているように思える。


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突然突拍子もないことを言うようだが、六本木SuperDeluxeでピーター・レーバーグを見た時、私が抱いた一番の感想は「火星人みたいな人だ」ということだった。それは、彼の思考系統が全く掴めないようでいて、しかし直感的に「分かる」こともある、という不思議な音楽経験に依る。ビートは踊りやすいようには存在しないけれど肉体的でもある、ノイズは彼の思考を象徴しているが時に私(たち)の言葉になることもある、という感覚であり、それ自体は彼のレコードがもたらす聴感と微塵も変わらないが、それが実際に目の前で繰り広げられたことにより具現化し顕在化したということ…ではあるのだが、しかしこれではあの時の音について全く説明できていない。いくら考えてみても、全く上手く言葉にできない。感覚的に分かること、しかもその状態の方が雄弁であることを言葉で説明するのは非常に難しい。

ただ思うのは、ピーター・レーバーグの表現とEditions Megoの関係性とはまさにこれだったということだ。言葉に出来ないことを認識させること、ピーター・レーバーグ本人には分かることを、他者とより共有出来るものに落とし込んでいく為にレーベルがあった。これは言い換えれば、ピーター・レーバーグの活動の全ては自分自身の独自の言語を他者とも分かち合う行為、即ち翻訳だったということになる。その点で言えば、ピーター・レーバーグは極めて天才的な感性を持つ翻訳家だったことは疑いようがない。自分自身の言葉が他者には難しいかも知れない、それであれば適度に翻訳してみれば良い…と言う発想はそもそも頭の良い人のものであると同時に、非常に客観的ではありながら自分の軸を曲げることもなかった頑固さもそこに垣間見える。いずれにしても、彼の翻訳は抜群だった。だから私たちはこうして彼の、彼らの音楽を享受出来ている。


1977年にNASAが打ち上げたふたつの探査機ボイジャー号には、その名もゴールデン・レコードという黄金のレコードが乗っている。人類が残した音楽を地球外生命に知らせる為のレコードだ。そこにはバッハやモーツァルトと共に、チャック・ベリーのロックンロールである”Johnny B. Goode”が収録されている。あの船に乗ったレコードをそもそも他の惑星の人が聴けるのか───というのは、NASAはボイジャー号にレコードを乗せても、レコードプレイヤーを乗せることはなかったからであり、技術的な共通項が恐らくないと思われるレコードプレイヤーを彼らは一から作らなくてはならない───についてはとりあえず置いておいて、どこかの惑星の人が"Johnny B. Goode"を聴いた時に(まるでルー・リードが美しく描いたような電撃を以ってして)「分かる」感覚を持つならば、それは地球とほど近い環境にある惑星なのではないかと推測することは十分出来るだろう。私がピーター・レーバーグに感じる距離感とは即ちそう言うものだ。これは土星人であったサン・ラに感じる距離感とも似ている。言語的に理解できなくても、私たちは確かにそれを感知することができ、楽しむこともできる。

少し視点を変えると(或いは考え方を地球の中に落とし込めると)、ピーター・レーバーグの表現とはアフロ・フューチャリズムと近似していた、と言うのは別段間違っていないと思う。これには彼が常にテクノロジーを意識していた人物であったことに加え、オーストリア出身であることも関係している(→誤りでした、下記に追記あり)。ご存知の通りオーストリアはナチスドイツによって全領土を占領され、アンシュルスと呼ばれる併合を経たのち、ドイツ敗戦後にイギリス・フランス・ソビエト連邦・アメリカによって分割占領されている。1955年に完全な独立を取り戻すまで、オーストリアはしばらくの間欧米諸国によって支配され続けていた。


[2021/8/21 追記]

原文でピーター・レーバーグをオーストリア出身であるとしたところ、「彼はイギリス出身である」とご指摘を頂きました。「Rehberg」という非英語圏の苗字からストレートにオーストリア出身だと疑問もなく考えていたのですが、調べてみたところ確かに彼はイギリスはロンドンの生まれでした。彼の父がオーストリア出身とのことで、イギリスで生活した後にオーストリアへ移住した、というのが正確なところのようです。大変失礼いたしました。また丁寧にご教授下さったことも併せてお礼申し上げます。ありがとうございます。


少し気になったので「Rehberg」についても調べてみたところ、もともとドイツとデンマークから発祥した苗字のようです。この苗字を持つ著名人を見ると、肖像画家であるFriedrich Rehbergなどドイツ出身の方々はもちろん、クラシックのコンサートピアニストであったスイス出身のWalter Rehbergという方も出てきます。このことから鑑みるに、この「Rehberg」という苗字はドイツを起点に周辺各国へ散逸しているものであると仮定できそうです。加えて「Rehberg」という名前は地名にもなっており、そのひとつはオーストリアに存在しています


脱線しましたが、ピーター・レーバーグにはふたつのアイデンティティがあると言う見立ては十分可能でしょう。ひとつはもちろん出身国のイギリスであり、もうひとつは父の生まれであるオーストリアです。このふたつは言うなれば第二次大戦の勝者と敗者それぞれのアイデンティティでもあり、それらは側から見れば相反的ですが、この複雑な交差にもピーター・レーバーグの特異性がもしかしたら関連しているのかもしれません。


音楽を巡る話と民族間・国家間での支配 / 被支配の話は当然のこと深く関係している。現在もアメリカにおける被差別民族であり続けている黒人たちの音楽は白人たちによってロックンロールとして回収され、世界各地の民族音楽が取り上げられた所謂ワールドミュージック・ブームも、各地ではなく欧米に多くの利益をもたらした。しかしエレクトロニカの勃興以降においては、イギリスとアメリカが主導で動いていたこれまでの音楽の権力バランスが少し崩壊し、支配される立場であった人たち / 土地が欧米の音楽を回収し取り上げる動きが確かにあったし、現在も続いている。オーストリアにあった本稿の主役であるEditions Megoはまさにその逆転の動きの象徴であった。オランダには名門=Staalplaatがあったし、(以下少し時系列がぐちゃっとするが)ノルウェーにはSmalltown Supersound、オーストラリアにもRoom40がある。日本にもProgressive FormやSCHOLEがあるし、シンガポールと日本のハーフ=KITCHEN.LABELなんてユニークなレーベルも今ではある。エレクトロニカが発端になった権力構造の刷新は、それを超えた動きとして近年も邁進している印象だ。被差別者だった黒人が白人のテクノロジーを使って「自分たちの為の」音楽を作りあげたアフロ・フューチャリズムと同義のことが2000年台前後から起こっている、という考え方はそこまで乱暴ではないと思うのだけれど、どうだろう。少なくとも私は、ピーター・レーバーグは非黒人による近アフロ・フューチャリズムの嚆矢として存在し続けた人だと考えている。

さて、音楽と火星…と言えば当然デイヴィッド・ボウイと『ジギー・スターダスト』が思い浮かぶ訳だが、ピーター・レーバーグがボウイを好きだったかなんて全く分からないし、今となっては知りようもない。かつ、かく言う暴論を晒した私自身にとってもどうでも良いことでしかない。とは言え世代的に考えれば全くない話でもないだろう…ジム・オルークがレッド・ツェッペリンやイエスが好きということも踏まえると尚そう感じる。しかしジム・オルークはボウイのことは嫌いな気がする(彼はイーノに関してもそこまで…と言う感じだった)。その点で言うと、ピーター・レーバーグはそもそもどんな音楽が好きで、何が音楽の起点だったのだろう…とそんなことを考えてホワホワしていたところ、8月6日付でサーストン・ムーアがBandcamp上でとある楽曲を発表していることに気がついた。タイトルからして”An Electric Noise Guitar Tribute to Pita”という直球のピーター・レーバーグ追悼曲にはサーストン本人によるちょっとしたコメントが著されていて、そこには「ピーターは明らかにボウイを崇拝していた」とある。まさに本稿を書いている最中にリリースされた楽曲だったので、かなり驚いたことは言うまでもない。そしてそれを読んでから尚のこと、ピーター・レーバーグという人のことが私は分からなくなっている。全く分からないが、その分からなさこそ彼が火星の人だったことの証明なのでは…と私の幼なげな推測へとそれは再び帰結していく。堂々巡りをしていくだけなのでここまでにするが、兎にも角にも『ジギー・スターダスト』を聴くと私はピーター・レーバーグを思い出す。ボウイ本人よりも彼を思い出す。ただし、その逆は一切起こらないだろう。ピーター・レーバーグの音楽は常に彼だけの音楽として私の中に位置し続ける。


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スターマンが空で待っている

彼はここへ来て私たちに会いたいが

私たちを驚かし過ぎると考えている

スターマンが空で待っている

あまり驚かないように、と彼は言った

何もかもに意味があることだと知っているから

彼はこうも言う

子ども達を堕落させ 子ども達に使わせ

全ての子ども達をブギーさせろ


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